端午の節句に甲冑を飾る理由
今日は五月五日の端午の節句に甲冑(鎧と兜)をお飾りする理由についてお話しをさせてください。
江戸時代、徳川家が行った世継ぎである男児の誕生を盛大に祝う行事が庶民にも広まり発展した端午の節句ですが、始まりは古く日本書紀まで遡ります。
香り高く薬効のある菖蒲や蓬で厄を払う風情のある美しい行事と、枕元にお人形を飾り赤ちゃんの厄を移した風習が、後の武家の行事と合わさり今に伝わったと言われています。
そして実は武家の男児らしく勇ましく育つことを願い甲冑が飾られただけではなく、甲冑には武具として身を守る以上の力があると信じられていました。
その一つの例として、皇室では古くから男子が誕生すると、檜の薄板で作られた兜に、出し(だし)と言う美しい造花を挿した『檜兜』(ひのきのかぶと)を 神が宿る依代(よりしろ)として飾るしきたりがあります。依代とは神さまが降りる場所ですから、何とも力強いお守りです。
また室町時代に書かれた『太平記』には不思議な力を宿す鎧の伝説が書かれています。
藤原秀郷(平安時代中期)が大百足を倒す百足退治伝説の中で藤原秀郷は龍王からお礼に飛来矢(ひらいし)という大鎧(格の最も高い正式な鎧)を贈られます。現在も鎧の一部が国の重要文化財として栃木県唐沢山神社に保存されていますが、この鎧は着用しているとどんな矢にも当たらなかったと言われ、寺院に収められてからは『飛来矢大権現』として崇められたそうです。
昔も今も甲冑を単なる武具としてではなく神聖な力を宿し我が子を守る『お守り』として飾ってきた私たち日本人。親の愛がいっぱい詰まった、優しい端午の節句を是非是非多くの方に楽しんで頂きたいなぁ。