ひな祭りの歌にはどんな意味があるの?歌詞と解説

「あかりをつけましょぼんぼりに…♪」のフレーズから始まる、ひな祭りの歌。
このメロディを耳にすると、すぐにひな祭り気分になるという方も多いのではないでしょうか?
今回は、幅広い世代に親しまれているひな祭りソング「うれしいひなまつり」についてご紹介します。
歌詞の意味や作詞・作曲者についても詳しく解説しています。ぜひご覧ください。

「うれしいひなまつり」の歌詞

ひな祭りの歌にはどんな意味があるの?歌詞と解説

馴染み深い方も多いと思いますが、改めて「うれしいひなまつり」の歌詞をご紹介します。

【1番】
あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひなまつり

【2番】
お内裏様(だいりさま)と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔

【3番】
金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣

【4番】
着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひなまつり

みなさん、3番と4番の歌詞は覚えていたでしょうか?
では次に、それぞれの歌詞について1番から順に解説していきます。

「うれしいひなまつり」歌詞の解説

歌詞の内容だけでなく、詩の情景や出てくる用語について着目すると、ひな祭りへの理解がより深まるでしょう。ここでは、「うれしいひなまつり」の歌詞について解説していきます。

1番の解説

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひなまつり

ぼんぼりにあかりを灯し、桃の花を飾るひな祭り定番の情景が描かれています。歌詞に登場する「ぼんぼり」は長柄の灯具のことで、燭立ての周囲が和紙や絹で覆われています。ぼんぼりという名前は「ほんのり」から転じて生まれた、という説もあるように、言葉通り優しく柔らかい光を灯してくれます。また、桃の花には、「厄除け」「不老長寿」などの意味が込められており、ひな祭りにぴったりのお花です。「五人ばやし」は奏者のことを指します。太鼓や笛、鼓、謡い手などが、ひな祭りの雰囲気をより一層盛り立ててくれます。これからいよいよひな祭りが始まる楽しい予感を感じさせますね。

2番の解説

お内裏様(だいりさま)と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔

お姫様とお殿様がすました顔で並んでいて、三人官女の一人は嫁いだお姉さまに似て色白な顔をしているようです。2番の歌詞について、詳細な部分については明確に言及されていませんが、作詞者であるサトウハチロー氏のお姉様のことを描写しているという説もあります。

3番の解説

金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣

金の屏風に映った灯りの光が、そよぐ春風に揺らめいています。右大臣は赤ら顔をしていて、お酒を飲んで酔っ払っているようです。ちなみにこの右大臣、平安時代は太政大臣(だじょうだいじん)や左大臣に続いて位が高く、主に政務職の統轄をする役割を果たしていました。普段は重要なお仕事を任されている右大臣ですが、ひな祭りのときばかりは楽しそうに羽を休めているようです。

4番の解説

着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひなまつり

3番までは飾られた雛人形の様子を歌っていましたが、4番でひな祭りの主役である女の子に視点が移ります。3月3日のこの日は女の子にとって特別な日です。着物を着換えて、帯を締める...晴れ着に着替えて嬉しい気持ちが表現されています。無病息災を願うひな祭りですが、綺麗な着物に着替えてお洒落を楽しむのも醍醐味の一つですね。

作詞・作曲者の紹介

馴染み深い「うれしいひなまつり」。この曲の作詞・作曲者はどのような人なのでしょうか?

作詞者 サトウハチロー

作曲者のサトウハチローさんは、詩人・童謡作家として数々の名作を残してきました。代表作には「うれしいひなまつり」「リンゴの唄」「ちいさい秋みつけた」などがあります。どの曲も世代を超えて、幅広い世代に親しまれています。本名は「佐藤八郎」で、1903年(明治36年)に東京で生まれました。父親で作家の佐藤紅緑への反発から、思春期の頃は落第や退学など荒れた生活を送るものの、詩人の福士幸次郎や西條八十に弟子入りしたことから、熱心に童謡詩を作り始めます。童謡の作詞を始めるとその才能は一気に開花し、読売新聞や有名な文学同人誌への掲載、詩集の出版と、次々に作品を発表していきます。1930年代に入ると、作詞だけでなく小説や映画音楽の作詞も担当するようになります。終戦後に大ヒットした「リンゴの唄」の作詞をしたことで、有名作詞家として日本中に名を馳せます。「うれしいひなまつり」もこの頃に作詞をしたといわれており、1936年にレコードが販売されています。

また、終戦後の東京で愛読されていた新聞「東京タイムズ」では、約10年間に渡り、エッセイ・「見たり聞いたりためしたり」の毎日連載を担当したり、ラジオパーソナリティを務めたりと、精力的に活動を続けました。昭和29年に第4回芸術選奨文部大臣賞を受賞。1962年(昭和27年)にレコード大賞童謡賞、1966年(昭和41年)には紫綬褒章受章など、70年間の生涯で数々の功績を残しています。

作曲者 河村光陽

作曲者の河村光陽(かわむら こうよう)は、明治30年に福岡県で生まれました。戦前から終戦直後にかけて活躍し、作曲家のかたわら、音楽教師なども務めました。童謡をメインに作曲活動をしており、主な代表作には「うれしいひなまつり」「ほろほろ鳥」「かもめの水兵さん」「赤い帽子白い帽子」などがあります。どれも覚えやすく、口ずさんで楽しい曲ばかりですね。裕福な家庭に生まれた河村氏は、小倉師範学校を卒業し、地元の小学校で音楽教師をしていました。その後、朝鮮に渡り、教育機関で音楽教育を経た後に帰国。帰国後は東京音楽学校で音楽理論を学び、音楽教師を務めながらも自作曲を制作・発表していきました。1930年代に入ると、ポリドールやキングレコード専属の作曲家となり、累計で約千曲にも上る童謡を後世に残しています。その他、長女の順子氏、次女の陽子氏、三女の博子氏とともにファミリーコンサートを開催するなど、家族間での音楽活動が多いのも特徴です。

今回はひな祭りの定番ソング「うれしいひなまつり」についてご紹介してきました。歌詞の意味を理解することで、お道具やお人形それぞれの役割などの理解が深まります。ぜひ、みんなで一緒に口ずさんで、ひな祭りを楽しんでみてくださいね。